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 【日文原著】远藤周作《沉默》连载(第三章 )

作者:未名天日语 来源:未名天日语 时间:2017-05-23  
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三、セバスチァン・ロドリゴの書簡(3)
 
  六月になるとこの国では雨期に入るのだそうです。雨は一月あまりも絶えまなく降り続くのだと聞いています。雨期に入れば警吏たちの探索もややゆるむでしょうから、その期間を利用して、私はこのまわりを歩き、まだ、かくれている切支丹たちを探すつもりです。彼等がまだ全くの孤独でないことを一日も早く知らせてやりたいのです。
  司祭という仕事がこれほど生き甲斐のあるものだと、かつて考えたことはありませんでした。海図を失った嵐の海の船。それがおそらく今の日本の信徒たちの気持でしょう。彼等は自分らを励まし、勇気づける司祭や修道士を一人も持たず少しずつ希望をなくし、闇の中を彷徨しだすかもしれません。
  昨日も雨でした。もちろん、この雨はやがてやってくる雨期の前ぶれではありません。しかし、一日中、この小屋をとり巻く雑木林に陰鬱な音をたてています。時々、樹々は身震いをして雨滴をおとします。そのたびごとにガルペと私は板戸の小さな隙間にしがみついて外を覗くのです。それがやっと風の仕業だとわかると怒りに似た気持が起きてきます。これからどのくらいこういう生活が続くのか。たしかに我々二人は妙にいらいらとして神経質になり、相手の一寸した過ちにもきつい眼をむけるようになっています。毎日、神経を弓弦のように張りつめている結果です。
  貴方にもう少し詳しくこのトモギ村の信徒たちについて書きましょう。彼等は三エクタールにも充たない畑地で麦や芋を辛うじて栽培している貧しい百姓たちで、水田を持っている者もいません。海に面した山の中腹まで耕している耕地をみれば、その勤勉さに感心するよりも悲惨な生活の苦しさがじんと伝わってきました。それなのに、長崎の奉行は彼等に苛酷な税を課してきました。本当に長い長い間、この百姓たちは、牛馬のように働き、牛馬のように死んでいったのでしょう。我々の宗教がこの地方の農民に水の浸み入るように拡がっていったのは、ほかでもない、生れてはじめてこの連中が人の心のあたたかさを見たからです。人間として取り扱ってくれる者に会ったからです。司祭たちのやさしさに動かされたのです。
  私はまだすべてのトモギ村の信徒たちに会ったわけではありませぬ。なぜなら警吏たちに見つからぬため、真夜中、二人ずつの信徒だけが、この小屋にのぼってくるからです。実際、これらの無智な百姓たちの口から「デウス」とか「アンショ」「ペアト」というような我々の言葉が呟かれる時、思わず微笑せざるをえません。告悔の秘蹟も「コンヒサン」と言いますし、天国は「ハライソ」、地獄を「インヘルノ」と言うのです。ただその名は憶えにくく、その上、顔がどれも同じように見えるので閉口します。我々はイチゾウをセイスケとまちがえますし、オマツという女をサキという女性と混同してしまいます。
  モキチのことについてはもう書きましたが、私はあと二人ほど私の信徒たちについて書きましょう。五十歳になるイチゾウはなにか怒ったような顔をして夜、小屋までやってくる男です。ミサにあずかる時も、あずかったあとも、ほとんど口をきいてはくれません。しかし、本当に腹をたてているわけではなく、これが彼の地顔なのです。好奇心のつよい男で、細い皺だらけのうす眼をじっとあけて、私やガルペの一挙一動をじっとみています。
  オマツはイチゾウの姉だそうですが、ずっと前に夫をなくした寡婦です。彼女は背中の籠に我々のための食事をもって姪のセンと一緒に二度ほど忍んでまいりました。彼女もイチゾウと同じように、好奇心が非常につよく、私とガルペが食事をするのを姪と一緒に観察しているのです。正直言って、貴方には想像できぬ粗食、幾つかの焼いた芋と、水とを私とガルペが飲みこむと彼女たちの顔に満足そうな笑いがうかびます。
 「そんなに珍しいか」同僚のガルペはある日、癇癪を起して言いました。「わたしたちが食事をするのは」
  彼女たちは、この言葉の意味がわからず、紙のように顔を皺くちゃにして笑っていました。
  私は貴方にもう少し詳しく、信徒たちの秘密組織について書きましょう。この組織のなかに長老の「じいさま」と「とっさま」とよぶ役職があって、「じいさま」が洗礼の秘蹟を受けもち、「とっさま」が祈りや教理を信徒たちに伝えることは申しあげました。この「とっさま」はまた暦をくって我々の教会の祝日をみなに告げる仕事もするのです。彼等の話によりますとクリスマスも受難の日も復活祭もすべてこの「とっさま」の指示によって行われるのだそうです。もちろん、そういう祝日には司祭の絶えてしまった彼等にはミサにあずかることはできません。だからただ古い聖画を一軒の家の中でひそかにみせたあと祈りをするだけです。(彼等はこれらの祈りをラテン語のまま「パーテル・ノステル」だの「アべ・マリア」だのと申しております)そして祈りをとなえる時は、その合間になにげない雑談をまじえます。警吏たちがいつ踏みこんでくるかわからないし、たとえ踏みこまれてもこの時はたんなる寄合いだと言える準備をしておくためです。
  島原の内乱以後、この地方の君主は、徹底的にかくれた基督教徒を探索しはじめ、警吏たちは一日一回は、各部落を巡察してまわりますし、また不意に家宅に侵入してくることもあります。
  たとえば、昨年から、すべての家は隣家との間に塀や垣根を作ってはならぬという布告が出ました。たがいの家の内側が見透せるようにして、もし怪しい振舞いをしている隣人がいればすぐ密告させるためです。私たち司祭の居場所を届けた者には銀三百枚が支払われます。修道士には銀二百枚、どんな信徒でも発見さえすれば銀百枚が賞金となるのです。これらの金があまりにも貧しい農民たちにどんな誘惑になるかをお察し下さい。だから信徒たちはほとんど他の村の人間を信じません。モキチやイチゾウといい、あの老人といい、ほとんど人形の面のように表情のない顔をしていることは既に書いた通りですが、その理由が今にして私ははっきりわかりました。彼等は悦びも悲しみさえも顔に出してはならぬのです。長い秘密の生活がこの信徒たちの顔を仮面のように作ってしまったのです。それは辛い、悲しいことです。神はなぜ、このような苦難を信徒たちの上にお与えになるのか、私にわからなくなることがあります。
  我々が探索しているフェレイラ神父の運命とイノウエ(お忘れでしょうか。澳門のヴァリニャーノ師が日本における最も怖ろしい人間といった男です)のことについては次の手紙で書きましょう。副院長のルンジウス・デ・サンクティス師に私の祈りと敬愛とをいつも受けて頂きたいと伝言してほしいと思います。
 
  今日も雨です。私とガルペとは寝床がわりの藁の中に身を入れて闇の中で体をかいていました。首や背中の周りを小さな虫が這うのでこのところあまり眠れません。日本の虱というのは昼間はじっとしているのに、夜になると我々の体を厚かましくも歩きまわる失敬な奴です。
  こんな雨の夜はさすが、ここまで登る者もないので体だけではなく、毎日の緊張で張りつめた神経も休まります。雑木林の身震いする音をききながらフェレイラ師のことを考えていました。
  トモギ村の百姓たちは彼の消息については全く何も知りません。しかし師が一六三三年までここから十六レグワ離れた長崎に潜行されていたことは事実です。そしてあの方と澳門のヴァリニャーノ師の連絡が糸の切れたように断たれてしまったのもこの年です。彼は生きているのでしょうか。噂のように、異教徒たちの前で犬のように這いつくばり、自分の生涯を賭けたものを棄ててしまったのでしょうか。そしてもし彼が生きているとしたら今、この重くるしい雨の昔を何処で、どんな気持で耳かたむけているのでしょうか。
 「かりに」思いきって虱と格闘をしているガルペに打ちあけました。「長崎まで行けば、フェレイラ師を知っていた信者も探しだせるかもしれない」
  闇の中でガルペが身じろぐのをやめ、軽い咳を二、三度して、「掴まったら、最後だ。これは二人の問題だけじゃない。我々をかくまった此処の百姓にまで危険が及んでくる。とにかく、我々はこの国で、布教の最後の踏石だということを忘れてはならぬ」
  溜息が私の口から洩れました。彼が藁の中で体を起し、こちらをじっと見ている気配がはっきりわかります。私はモキチやイチゾウやそのほかの村の若者の顔を一つ一つ思い浮べました。誰かが、我々の代りに、長崎に行ってくれないだろうか。いいえ、それもできません。この連中には彼等を支えにしている家族という者があるのです。妻も子もない我々司祭とは生き方が違う。
 「キチジローに頼んでみようか」
  するとガルペは小さな声で笑いました。私の心にも船で汚物の中に顔を埋めていた彼、二十五人の水夫たちに手をあわせて許しを乞うていたあの臆病者の姿が浮びました。
 「馬鹿な」私の同僚は言いました。「頼りになるものか」
  それから二人は長い間、黙っていました。雨が小屋の屋根をまるで規則ただしい砂時計のこぼれるように降っています。ここでは夜と孤独とが一緒に結びあうのです。
 「我々も……いつかフェレイラ師のように掴まるだろうか」
  ガルペはまた笑いだし、「そんなことよりも私には、この背中を這っている虱の方に関心があるね」
  日本に来てから彼はいつも陽気でした。ひょっとすると陽気を装うことによって、私と自分自身とを勇気づけようと考えていたのかもしれません。私だって正直な話、自分たちが掴まるとは考えてはいない。人間とは妙なもので他人はともかく自己だけはどんな危険からも免れると心の何処かで考えているみたいです。雨の日に遠く、そこだけ薄陽の照っている丘を想像する時のように、自分が日本人たちに捕縛された瞬間やその姿は一向に心に浮ばないのです。私たちはこんな小屋にいますが、いつまでも安全な気がするのです。なぜか知りませんが本当におかしな話です。
 
  三日降りつづいた雨がやっとやみました。小屋の板戸の隙間から、白い光が一条、さしこんできたのではっきりとわかります。
 「少しだけ外に出ようか」私がそう言うとガルペは嬉しそうに微笑してうなずきました。湿った戸を少し押しただけで雑木林の中から鳥が唄を歌っているのが、湧きでる泉のように聞えてきました。生きていることが、こんなに倖せだったとは今まで考えなかったくらいです。
  小屋の横近くで腰をおろし、私とガルペとは着物をぬぎました。糸の縫目に白い埃のように虱たちがじっとかくれていて、その一匹一匹を石で押しつぶすと、言いようのない快感さえ感じます。こんな快感を警吏たちは信徒を殺すたびに味わっていたのかもしれませんね。
  林の中にはまだ少し霧が流れていましたが、霧の割れ目から青い空と遠い海がみえました。トモギ村らしい集落がその海べりに、まるで牡蠣のようにしがみついています。
  長い間、小屋に閉じこめられた私たちは、虱を殺す手をやめてむさぼるように人間たちのいる世界を見つめていました。
 「なんでもないじゃないか」
  ガルペは金色の胸毛の光る裸体を太陽に気持よさそうにさらしながら白い歯をみせて笑いました。
 「どうやら、危険を怖れすぎたようだ。これからも時々、せめて日光浴をする楽しみぐらいは許してもらおう」
  毎日、晴れた日が続き、少しずつ大胆になった我々は、若葉と湿った泥の臭いのこもる林の斜面を歩くようになりました。ガルペは、この炭小屋のことを修道院だとよんでいました。いい加減散歩すると、彼はこう言って私を笑わしたものです。
 「修道院に戻ろう。そしてあたたかいパンと脂のよく出たスープで食事をしよう。しかし、日本人の連中にこのことは黙っておこう」
  私たちはリスボンで貴方と送ったあの聖ザべリオ修道院の生活を思い出していたのです。もちろん、ここには一本の葡萄酒も牛の肉もありません。我々の食事はトモギ村の百姓がもってきてくれる焼いた芋と煮た野菜ぐらいのものなのです。しかしすべては安全で神に守られているという確信が心の底から起ってきました。
  ある日のこと、私たちはいつものように雑木林と小屋との間の石に腰をかけて話をしていました。夕暮の陽が林に木洩日をつくり、暮れなずむ空の光の中に一羽の大きな鳥が黒い弧線を描きながら向うの丘に飛んでいきました。
 「だれかが、見ている」突然、ガルペが下を向いたまま小さいが鋭い声で申しました。「動いてはいけぬ。このままの姿勢でじっとしているのだ」
  たった今、鳥の飛んでいた林一つを隔てた薄陽のさした丘に二人の男が立ってこちらを見ていました。もちろん、我々の知っているトモギ村の百姓たちではないことはあきらかでした。西陽が我々の顔をはっきりと浮びあがらせないことを願いながら、我々は石のように体を固くしていたのです。
 「もうし……だれだあ」
  むこうの二人は、丘の頂から声をあげて呼びかけてきました。
 「もうし……だれだあ」
  何か返事をすべきかどうか迷いましたが、しかし、もしそのためにかえって相手に怪しまれるのを怖れて口をしっかり閉じていたのです。
 「丘をおりて、こっちにくる……」とガルペは石に腰かけたまま、低く言いました。「いや、そうじゃない。彼等は戻っていく」
  彼等が谷をおりていくのが小さく見えました。しかし、あの西陽のあたる丘に立った二人の男たちが我々をどこまで見ていたのか、わかりません。
  その夜、山にイチゾウがマゴイチという「とっさま」に属する男をつれて登ってきました。私たちが今日の夕暮、起った出来事を話すと、イチゾウは細い眼でじっと小屋の一点を見つめ、やがてだまったまま立ちあがると、マゴイチに何か言いつけて二人は床の板を剥がしはじめました。魚油の灯に蛾がまわっています。板戸にかけた鍬をとって彼は地面を掘りはじめました。彼等が鍬をふるう姿が壁にうかびあがりました。我々二人の体を入れるほどの穴を堀ると彼等はその下に藁を敷き、上を板で覆いました。今後はこの穴をいざという場合、我々のかくれる場所とするのだそうです。
 
  あの日以来、万事に気をつけて、もう二度と小屋の外に姿を見せないように努め、夜は夜で灯もつけぬよう気をつけました。
  次の出来事が起ったのは、それから五日目のことです。その日、夜遅くまで私たちは「とっさま」の衆に属する男二人とマツとがつれてきた赤ん坊にひそかに洗礼を授けました。これが、私たちが日本に来てから始めて行った洗礼で、もちろん蝋燭もなく音楽もないこの炭小屋では、聖水を入れる小さな欠けた百姓の茶碗だけが儀式の道具でした。しかしどんな大聖堂の祭典にもまして、みじめな小屋で、赤ん坊が泣き、マツがそれをあやし、一人の男が小屋の外に張番にたち、ガルペが重々しい声で唱える洗礼の祈りを聞いた時ほど私に悦びを与えたものはありませぬ。それは異国に赴いた布教司祭だけが味わえる幸福でしょう。洗礼の水で額を濡らされた赤ん坊は、顔を皺だらけにして泣き声をたてました。頭が小さく、眼が細く、モキチやイチゾウと同じようにやがて百姓になる顔。この子もまたいつかはその親や祖父と同じように、この暗い海に面した貧しい狭隘な土地で牛馬のように働き、牛馬のように死なねばならぬ。しかし、基督は美しいものや善いもののために死んだのではない。美しいものや善いもののために死ぬことはやさしいのだが、みじめなものや腐敗したものたちのために死ぬのはむつかしいと私はその時はっきりわかりました。
  彼等が引きあげたあと、疲れて藁の中にもぐりこみました。小屋の中には男たちの持ってきた魚油の臭いがまだ残っています。虱がまたゆっくりと背中や腿を這いまわりだしました。どのくらい眠ったでしょう。ガルペは例によって楽天的な大きな鼾をかくので私は少し眠ったのち眼をさましました。小屋の戸をだれかが少しずつゆさぶっているようでした。始めは下の谷から吹きあげる風が雑木林をぬけて戸にぶつかるのかと思ったほどです。私は藁から這い出て闇のなかで床板にそっと指をかけました。この下にはイチゾウが掘ってくれた秘密の穴があったからです。
  戸を動かす音がやみ、男のひくい悲しそうな声がしました。
 「パードレ、パードレ」
  トモギ村の百姓たちの合図ではありませんでした。トモギ村の信徒なら戸を軽く三つ叩くというのが約束でした。ようやく眼をさましたガルペも身じろぎもせず、じっと耳をすましています。
 「パードレ」悲しそうな声は繰りかえしました。「わしらあ……怪しい者じゃなかっとです」
  闇のなかで息をこらして黙っていました。どんな馬鹿な警吏でもこれくらいの罠はしかけてくる筈です。
 「信じてくれんとですか。わたしはフカザワ村の百姓で……わしら、長い間、パードレに会うとらん。告悔ばしたかとです」
  こちらの沈黙に、諦めたように戸をゆさぶる音がやみ、悲しそうに跫音が遠のいていきます。私は戸口に手をかけて外に出ようとしました。そうです。彼等が警吏で、罠をかけたとしても、かまわぬと思いました。もし信徒だったら、お前はどうするのだと言う声のほうが心の中で強くひびいたからです。私は人々に奉仕するために生れてきた司祭でした。その奉仕を肉体の臆病ゆえに怠るのは恥でした。
 「よせ」ガルペがきびしく私に言いました。「馬鹿な……」
 「馬鹿でもいい。義務からではない」
  戸をあけました。月光がその夜、どんなに蒼白で大地も林も銀色に浮びあがっていたことか。乞食のように襤褸をまとった二人の男たちが犬のようにうずくまり、こちらをふりむき、
 「パードレ、信じてくれんとでしょうか」
  一人の男の足が血まみれになっていることがわかりました。山に登ってくる途中、切り株に傷ついたのかもしれません。彼等は倒れるくらい疲れ果てていました。
  無理もない。二十レグワもはなれた海の中の五島という島からここまで役人の眼をかくれてたどりついたのです。
 「この前からこの山に居ったとです。五日前にあの丘にかくれて、こっちば見よったとです」
  その一人が小屋の向う側の丘を指さしました。あの日の夕暮、その丘で我々をじっと観察していたのはこの連中でした。
  小屋の中に入れ、イチゾウが我々のために運んできた干し芋を与えると、両手を口にあてて獣のようにむさぼり食べます。この二日間、ほとんどなにも食べていなかったということがよくわかりました。
  漸く話を聞きだしました。誰が一体、彼等に我々の存在を教えたというのでしょう。それがまず一番、ききたい所でした。
 「わしらの在の者で切支丹のキチジロが申したとです」
 「キチジロー」
 「はい、パードレ」
  魚油の火影の中で彼等は芋を口にあてたまま獣のようにうずくまっていました。一人の男の歯はほとんど欠けていました。がその二本の歯をむきだしにして彼は子供のように笑いました。もう一人の男は、私たち異国の司祭の前で緊張し固くなっていました。
 「しかし、キチジローは信徒でない筈だ……」
 「うんにゃ、パードレ、キチジロは切支丹にてござります」
  これは少し意外な返事でした。しかし我々としてもあの男があるいは基督教徒ではないかと半ば想像はしていたのです。
  事情が少しずつわかってきました。やはりキチジローは一度ころんだ切支丹でした。八年前、彼とその兄妹はその一家に恨みをもった密告者のため密告を受け切支丹として取調べを受けたのです。キチジローの兄も妹も主の顔を描いた聖画を足で踏むように言われた時、これを拒絶しましたが、キチジローだけは役人が一寸、脅しただけで、もう棄教すると叫びだしました。兄妹はすぐに投獄され、放免された彼はついに村に戻らなかったのです。
  火刑の日、刑場をとり巻いた群集のなかに、この臆病者の顔を見たという者もありました。野良犬のように泥だらけになった彼の顔は兄妹の殉教を見ることさえできず、すぐ消え去ってしまったというのです。
  私たちはまた彼等から驚くような報告を受けました。彼等の部落オオドマリでは村民全部が役人たちの眼をのがれて今も基督教を信じているのです。そしてオオドマリだけではなく、その附近のミヤハラやドウザキやエガミとよぶ部落や村々にも表面、仏教徒を装いながら、しかし信徒である者があまたかくれているとのことでした。彼等はある日、遠い海からふたたび我々司祭たちが自分たちを祝福し、助けてくれる日を長い長い間待っていたのです。
 「ばってん、わしらはもうミサも告悔も受けちょりません。みんな、ただオラショだけ唱えとるとでござります」
  足を血まみれにした男が申しました。
 「早う村に来てつかわさい、パードレ。わしら小さか子にもオラショば教えて、パードレが来られる日を待っとったとですが」
  黄色い歯が欠けた男は空洞のような口をあけてうなずき、魚油が豆のはじくような音をたてて燃えました。ガルペや私がどうしてこの哀願に首をふることができたでしょうか。我々は今日まであまりに憶病すぎました。足を傷つけ、山に野宿しながら我々をたずねてきたこの日本の百姓たちにくらべてあまりに臆病すぎました。
  空が白み、乳白色の朝がたのつめたい空気がこの小屋にしのびこみます。彼等はどんなに我々がすすめても藁の中にもぐりこもうとはせず、膝をだいて眠りました。やがて朝の光がやっと板と板との隙間からさしこんできました。
  翌々日、トモギ村の信徒たちに五島に行くことを相談しました。結局、ガルペがここに残り私は五日ほどの間、五島の信徒たちと接触することに決めました。彼等はあまりこの話によい顔をしませんでした。危険な罠ではないかと言う者もいました。
  約束の日の夜、トモギ村の海岸まで彼等はひそかに迎えにきました。こちらはモキチともう一人の男が、日本の百姓の服装をした私を海岸で守っていて舟に送りこみました。月のない真暗な海を、櫂の軋んだ音だけが、規則ただしくひびきます。そして舟を漕ぐ男はただ黙っています。沖に出ると波が大きくうねりだしてきました。
  不意に私はこわくなってきました。疑惑がかすめました。あるいはこの男も、トモギ村の連中が案じたように、私を売るための手先なのかもしれない。なぜ足に怪我した男と歯の欠けた男がついてこないのだろう。こういう時、仏像のように表情のない日本人の顔は気味わるさを与えます。舳にうずくまって私は寒さのためではなく恐怖のために震えました。しかし、行かねばならぬ、そう言いきかせました。
  夜の海はどこまでも黒く拡がり空には星さえみえませぬ。その暗夜の中を二時間、真黒な島影が舟のそばをゆっくり動くのを私は感じました。そこが五島に近い樺島だと私はやっと男から教えられました。
  浜につくと船酔いと疲れと緊張とで眩暈をおぼえました。私は待っていた三人の漁夫たちの顔の中にキチジローの卑しい臆病そうな笑いを久しぶりで見つけました。部落は灯を消し、犬が部落の何処かで火のついたように吠えていました。
 
  五島の百姓と漁夫たちがどんなに司祭を待っていたかは、あの歯のかけた男が言う通りでした。どうしていいか、今わからないくらいです。眠る暇さえありませぬ。彼等は基督教の禁制などはまるで無視したように、私のかくれ家に次から次へとやってくるのです。子供たちに洗礼を授ける。大人たちの告悔をきく。一日つぶしても、その人数はたえませぬ。まるで砂漠の中を歩きつづけた隊商がやっとオアシスの水をみつけたように、彼等は私をむさぼり飲もうとしている。聖堂のかわりにしたこの潰れたような農家に彼等の体が充満し、吐き気のするような臭いのただよった口をちかづけて彼等は自分たちの罪を懺悔します。病人までが這うようにしてここまでやって来るのです。
 「パードレ……聞いてくれんとですか」
 「パードレ……聞いてくれんとですか。パードレ……」
  そして滑稽なことには、その中でキチジローが前とは違ってまるで英雄のように部落民からもてはやされ得意そうに動きまわっているのです。なんと言ってもこの男がいなければ、司祭である私はここまで来れなかったのですから、彼が威張るのは無理もありますまい。過去の出来事も、一度は棄教をしたという事実もこのおかげですっかり忘れられたようです。多分、この酔っぱらいは、信徒たちに澳門や長い船旅のことを誇張して話し、二人の司祭を日本につれてきたのもまるで自分の力であるかのように言ったことでしょう。
  しかし、私は彼を叱ろうとは思いません。キチジローの口軽には迷惑しますが、彼のために恩恵を蒙ったのも事実です。私は彼に告悔をすすめ、彼は素直に自分の昔の罪をすべて告白しました。
  彼にはあの主の言葉をいつも考えるように命じました。「人の前にて我を言いあらわす者は、我も亦、天にいます我が父の前にて言い顕わさん。されど人の前にて我を否む者は我も亦、天にいます我が父の前にて否まん」
  キチジローはそういう時、叩かれた犬のようにしゃがんで自分の頭を手でうちます。この性来、弱虫男には、勇気というものがどうしても持てなかったのです。性格そのものは本当に善良なのですが、意志の弱さと一寸した暴力にも震えあがる臆病さを治すのはお前の飲んでいる酒ではなく、ただ信仰の力だと私は手きびしく言ってやりました。
  私の長い間の想像はまちがっていませんでした。日本人の百姓たちは私を通して何に飢えていたのか。牛馬のように働かされ牛馬のように死んでいかねばならぬ、この連中ははじめてその足枷を棄てるひとすじの路を我々の教えに見つけたのです。仏教の坊主たちは彼等を牛のように扱う者たちの味方でした。長い間、彼等はこの生がただ諦めるためにあると思っているのです。
  今日まで三十人もの大人たちと子供に洗礼を授けました。ここだけではなく、ミヤハラ、クズシマ、ハラヅカからも裏山を通ってひそかに信徒たちはやってくるのです。五十人以上もの告悔もききました。安息日のミサのあとにはそれら信徒を前にして、始めて日本語でオラショを共に唱え、語りもしました。百姓たちは好奇心のこもった眼で私を見つめています。しゃべりながら脳裏にしばしば山上の説教をするあのお方の顔と、あるいは腰をおろし、あるいは膝をかかえてその言葉に聞きほれている者たちの姿を思い浮べました。なぜこのように私はあの方の顔を思い浮べるのか。おそらくそのお顔が聖書のどこにも書かれていないからでしょう。書かれていないゆえに、それは私の想像に委せられ、そして私は子供の時から、数えきれぬほどそのお顔をまるで恋人の面影を美化するように胸にだきしめたのです。神学生の時、修道院にいる時、私は眠れぬ夜、彼のうつくしい顔をいつも心に甦らせました。いずれにしろこうした集まりが、どんなに危険なことかよくわかっています。遅かれ早かれ、私たちの動きは役人の嗅ぎつけるところとなるかもしれませぬ。
  フェレイラ師の消息はここでもまだわかりません。彼を見たという年寄りの信徒に私は二人会いました。その結果、フェレイラ師が長崎のシンマチという場所で道に棄てられた赤ん坊や病人の家を作られたということだけはわかりました。もちろんこれはまだ迫害がそうきびしくない前のことですが、話を聞いただけで、あの師の面影が心のなかに髣髴と思い浮んだのです。顎にたくわえられた栗色の髭と少しくぼんだ眼差しで、かつて私たち学生に接しられたのと同じように日本のみじめな信徒たちの肩にも彼は手をおいたのでしょう。
 「そのパードレは」と私はその二人にわざとこういう質問をしてみました。「こわい人でしたか」
  老人は私を見上げ懸命に首をふりました。こんな優しい人を見たことはないと、その震えた唇が言うようでした。
  トモギに戻る前、私はこの部落の連中たちに、例の組織を作ることを教えました。そうです。トモギ村で信徒たちが司祭の不在の間にひそかに作りあげていた組織です。じいさまを選び、とっさまを作り、そして教理が若い者や子供や新しく生れる生命の裡に途絶えないようにするためには、今の情勢ではこういう方法にたよるしかありません。ここの部落の連中はこの方法に興味を示しましたが、いざ、誰をじいさまやとっさまに選ぶかとなると、まるでリスボンの選挙民たちのように口論をしはじめました。中でもキチジローは特に自分が役職につくことを頑強に主張していました。
  もう一つ注意しなければならないことは、トモギ村の連中もそうでしたがここの百姓たちも私にしきりに小さい十字架やメダイユや聖画を持っていないかとせがむことです。そうした物は船の中にみな置いてきてしまったと言うと非常に悲しそうな顔をするのです。私は彼等のために自分の持っていたロザリオの一つ一つの粒をほぐしてわけてやらねばならなかったのです。こうしたものを日本の信徒が崇敬するのは悪いことではありませんが、しかしなにか変な不安が起ってきます。彼等はなにかを間違っているのではないでしょうか。
  六日後の夜、またひそかに小舟に乗せられ、夜の海を漕ぎだしました。櫂を漕ぐ軋んだ音と舟を洗う海の音が単調にきこえ、舳にたったキチジローは小声で唄を歌っています。五日前、同じ舟でここを渡った時、自分が急に説明のつかないこわさを感じたことを思いだして、私は微笑しました。何もかもうまく運んでいる。そう思いました。
  日本に来て以来、想像している以上にうまく運んでいる。私たちは自分から危険な冒険をすることもなく、次々と新しい信徒の群れを見つけることができたし、警吏たちに今日までその存在を気づかれたことはない。澳門でヴァリニャーノ師はあまりに日本人の弾圧に怯えすぎていられるのではないかと、そんな気さえします。嬉しさとも幸福感ともつかぬ感情が急に胸をしめつけました。それは自分が有用だという悦びの感情でした。あなたの全く見知らぬこの地の果ての国で私は人々のために有用なのです。
  そのためか帰りは行きほど、舟も私には長く感じられませんでした。そして舟が軋み、底に何かがぶつかったような感じがした時、もう、トモギに戻ったのかと驚いたほどでした。
  砂浜に体をかくし、私はモキチたちが迎えにくるのを、一人で待っていました。こんな警戒さえ、ひょっとすると、もう無駄なのではないかと考え、ガルペと自分とが、この国に到着した夜のことをみち足りた気持で思いだしていました。
  跫音がして、
 「パードレ」
  私が嬉しさのあまり、起きあがり、砂だらけの掌を握ろうとした時、
 「逃げてつかわさい。早う逃げてつかわさい」
  早口でモキチはそう言うと、私の体を押しのけました。
 「役人衆たちが、村に……」
 「役人たちが……」
 「はい、パードレ、役人衆に、嗅ぎつけられたごたっと」
 「私らのことも」
  モキチは急いで首をふりました。私たちがかくまわれていることはまだ気づかれていなかったのです。
  しかし、モキチとキチジローに手を引かれるようにして、部落とは反対の方角に走りました。畠に出ると、できるだけ麦の穂のあいだにかくれながら、我々の小屋にいたる山の方角に進みました。この時、少しずつ霧雨が降ってきました。日本の梅雨がいよいよはじまったのです。
 
(つづく)