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 【日文原著】远藤周作《沉默》连载(第二章 )

作者:未名天日语 来源:未名天日语 时间:2017-05-23  
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二、セバスチァン・ロドリゴの書簡(2)
 
  主の平安。基督の栄光。
  限られた紙のなかでこの二カ月の間、出会った数々の出来事をどのように話してよいのでしょう。その上、この手紙が貴方の手もとに届くのか、それさえわからない現在です。しかし私はやはり書かずにはいられない気持ですし、書き残しておく義務を認めるから書いておくのです。
  澳門を出発した我々の船は八日まではふしぎなくらい良好な天候に恵まれました。空は青く晴れ、帆は満足そうに膨れ、飛魚の群れが銀色に光りながら波間をはねるのがいつも見えました。私もガルペも毎朝、船中でのミサで航海の安全を主に感謝しつづけました。間もなく最初の嵐が襲ってきました。五月六日の夜のことです。強風がまず東南から吹きつけてきました。熟練した二十五人の水夫たちも帆桁をおろし前檣に小帆を揚げましたが、夜半には風波に船を委せるだけで、そのうち船の前方に裂け目が入り、浸水がはじまりました。ほとんど一晩の間、我々はこの裂け目に布をつめ、水を外にくみ出す作業を続けねばなりませんでした。
  夜が白み始めた頃、嵐はやっとやみました。水夫たちも私やガルペも、精根尽き果て、ただ船荷と船荷との間に体を横たえ、雨を含んだ真黒な雲が東に流れていくのをじっと見上げていました。その時、今から九十年も前に私たちよりももっと大きな困難を経ながら、この日本にたどりつこうとされた聖フランシスコ・ザビエル師のことが心に甦ってきたのです。あの方もまたこのような嵐の終った黎明、乳色の空を見られたにちがいない。あの方だけではない。それから何十年もの間、何十人の宣教師や神学生たちがアフリカをまわり、インドを経てこの海を越えて日本に布教しようとしたことでしょう。デ・セルイケラ司教、バリニヤ師、オルガンチノ師、ゴメス師、ポメリオ師、ローペス師、グレゴリオ師、数えれば際限がありません。彼等の中にはジル・デ・ラ・マッタ師のように日本を目前に見ながら、難破した船と運命を共にされた方たちも多くいられます。何が彼等をこの大きな苦しみに耐えさせ大きな情熱に駆りたてたか、それは今、私にはわかるのです。それらの人々もすべて、この乳色の雲と東に流れていく黒雲とを凝視されたのです。彼等がその時、何を考えたか、それも私にはわかるのです。
  船荷の横でキチジローの苦しそうな声をききました。この弱虫は嵐の間、ほとんど水夫たちを手伝うことさえせず、荷と荷との間に真蒼になって震えていました。まわりには白い吐瀉物があたりかまわず散らばり、日本語でなにかをしきりに呟いているのです。
  はじめ水夫たちと同様に私たちも、そんな彼を軽蔑して眺めておりました。彼の呟く日本語も、疲れた耳にほとんど関心がなかったのです。しかし、ふと、私は彼のその言葉の中に「ガラサ」(聖寵)とかいう言葉と「サンタ・マリア」(聖母)という発音を聞きました。まるで豚のように自分の吐いた汚物の中に顔を埋めて、この男は「サンタ・マリア」という言葉をたしかに続けて二度申しました。
  ガルペと私とは顔を見合わせました。この船旅の間、皆にとってほとんど役に立つどころか迷惑な存在だった彼が我々と同じ立場の人間だということがありうるでしょうか。いや、そんなことはありえない。信仰は決して一人の人間をこのような弱虫で卑怯な者にする筈はない。
 「あなたは信徒ですか」ガルペがたずねました。
  吐瀉物ですっかりよごれた顔をあげ、キチジローはくるしそうにこちらを見あげ、それから狡猾にも彼は今の質問が聞えなかったようなふりをすると、卑屈なうす笑いを頬にうかべました。いかにも誰かに阿るような笑い方はこの男の癖です。私はともかく、ガルペはこの笑い方にいつも気を悪くしていました。あの剛毅なサンタ・マルタなら本当に腹をたてたにちがいありません。「私は聞いているのだ」ガルペは声をあげました。「はっきり、言いなさい。信徒なのか。信徒でないのか」
  キチジローは強く首をふりました。支那人の水夫たちはそれぞれ船荷の間から好奇心と軽蔑との入りまじった眼でこちらを見つめていました。もしキチジローが信徒ならば、司祭である私たちにまでそれをかくしているのがわかりません。おそらく私の想像では、この臆病者は日本に戻った時、我々の口から彼が基督教徒であることを役人たちに洩らされるのを怖れているのではないかと思います。だがもし彼が本当に信徒でないならば「ガラサ」とか「サンタ・マリア」という言葉をなぜ、恐怖のあまり口に出したのでしょう。いずれにしろこの男は私の興味をひきますし、やがて彼の秘密も少しずつわかってくるだろうと思いました。
  その日まで陸地も島影も全くみえません。空は灰色に拡がり、時々まぶたに重いくらいの薄陽が船にさします。我々は悲しみに打ちのめされて、白い牙のような波の歯をむきだしている冷たい海にただ眼をやるだけでした。だが神は我々を見棄てられなかったのです。
  艫に死者のごとく倒れていた水夫の一人が突然、叫びました。その指さす水平線から一羽の小鳥が飛んできました。そして海を横切りこの小鳥は、昨夜の嵐で布の裂けた帆桁に黒点のように羽をおろしました。既に、海に無数の木片が流れていました。これは、陸地が我々を既に待っていることを予想させるものでした。しかし、悦びはたちまち不安に変りました。もしこの陸地が日本であるなら私たちはどんな小さな小舟にも発見されてはならないからです。小舟の漁夫たちは、ただちに役人に異国人を乗せたジャンクが漂流していることを大急ぎで告げに走るでしょう。
  闇がくるまでガルペと私とは二匹の犬のように船荷の間に体をすりよせてかくれました。水夫たちは、前檣の小さな帆だけを揚げてできるだけ陸地らしい地点を遠く迂回するようにしてくれました。
 
  真夜中、船はふたたびできるだけ静かに動きだしました。が幸い月がないために空は真暗で誰にも発見されません。半レグワほどの高さの陸地が少しずつ迫ってきます。両側が急な山の迫っている入江にはいりこんだことに気がつきました。浜のむこうに押しつぶされたような家々の塊が見えたのもこの時です。
  まずキチジローが浅瀬におり、続いて私が、最後にガルペがまだ冷たい海水に体を入れました。ここが日本なのか、それとも別の国の島なのか、正直な話、三人には見当もつきませんでした。
  砂浜の窪みにキチジローが事情を探るまで、じっとかくれていました。砂をふむ音が、その窪みのそばに近づいてきました。濡れた着物を握りしめて息をこらしていた私たちの前を布を頭にかぶり、籠をかついだ老婆が一人、我々に気がつかずにそばを通りすぎていきました。彼女の跫音が遠くに消え去ったあと、ふたたび沈黙がおそってきました。
 「戻ってこない。戻ってこない」ガルペは泣きそうに申しました。「あの臆病者はどこかに行ってしまったのだ」
  しかし、私はもっと悪い運命を考えていました。彼は逃げたのではない。ユダのように訴えにいったのだ。そして役人たちがやがて彼に伴われて間もなく姿を現わすだろう。
 「されば一隊の兵卒は炬火と武器とを持ちて此処に来れり」ガルペはあの聖書の言葉を呟きました。
 「かくて基督、我が身に来るべきことを悉く知り給いぬ……」
  そうです。私たちはこの時、あのゲッセマネでの夜、自分の全ての運命を人間たちにそのまま委ね給うた主のことを考えるべきでした。しかし私にとってこれは胸が潰れるほど長い時間だった。正直、こわかったのです。汗が額から眼に流れてきました。私は一隊の兵卒の跫音を耳にしました。炬火の火が闇の中に不気味に燃えながら近づいてきました。
  誰かが炬火をさしだし、小柄の老人の醜い顔がその火影の中に赤黒く浮びあがり、その周りで五、六人の若い男たちが当惑したような眼で我々を見おろしていました。
 「パードレ、パードレ」老人は十字を切って呟き、その声は我々をいたわる優しさがありました。今「パードレ、神父さま」というこのなつかしいポルトガル語をここで耳にしようとは夢にも思っていなかった。もちろん老人はそれ以外には我々の国の言葉を知っている筈はありません。しかし、我々にとって共通の徴であるあの十字を彼は目の前で切ってくれたのです。彼等は日本人の信徒だった。私は眩暈さえ感じながら砂浜の上にやっと立ちあがりました。これが日本の始めて踏む地面でした。それをこの時、はっきりと実感として感じました。
  キチジローはみなのうしろで、あの卑屈な笑いを浮べてかくれていました。まるで鼠のように何かあれば、いつでも逃げ出せるような姿です。恥ずかしさで私は唇をかみました。主はいつでも自分の運命をどんな人間たちにも委せられた。それは彼が人間を愛し給うていたからです。しかし私はキチジローという一人の人間さえ疑っていた。
 「早う、歩いてつかわさい」老人が小声で我々を促しました。「異教徒たちに見らるっといかんですもん」
  ゼンチョという我が国の言葉をこの信徒たちはもう知っているのです。聖フランシスコ師以来、我々の幾多の先輩たちが彼等にきっとこれらの言葉を教えられたに違いありません。不毛の土地に鍬を入れ、それに肥料を注ぎ、ここまで耕すことはどんなに困難だったでしょうか。しかし、まいた種からこの悦ばしい芽がもう生えている以上、それを育てることが私とガルペの大きな使命となるのだと思いました。
  この夜、天井のひくい彼等の家にかくしてもらいました。牛小屋が隣にあってその臭気が漂ってきましたが、しかし私たちはここでさえも危険なのだと言われました。異教徒たちは我々を見つけだせば銀三百枚を与えられるため、どんな場合、どんな人間にも心を許せぬのです。
  しかし、キチジローはなぜ、このように早く信徒たちを見つけることができたのでしょう。
 
  翌朝、暗いうちに、昨日の若い男たちに伴われて私とガルペは野良着に着かえさせられ部落の背後にある山に登りました。信徒たちは我々をより安全な場所である炭小屋にかくそうというのです。霧が森も径もすっかりかくし、その霧もやがて細かな雨に変りました。
  炭小屋で我々は始めて自分たちが到着した場所がどこであったかを教えてもらいました。長崎から十六レグワの距離にあるトモギという漁村なのです。戸数は二百戸にも足りぬ村ですが、かつては全村民のほとんどが洗礼を受けたこともあるのでした。
 「今は」
 「はい。神父様」我々を伴ってきたモキチという若い男は友だちをふりかえり、「今はわしらには、何もできません。わしらがキリシタンであるとわかれば殺されます」
  私たちが首にかけていた小さな十字架をやった時の彼の悦びようはとてもここには書けぬほどです。二人とも恭しく地面に伏し、その十字架を額に押しいただき、長い間、礼拝をくりかえしていました。彼等はもう長い間、このような十字架一つさえ手に入れられなかったのだそうです。
 「司祭はいるのですか」
  モキチは手を固く握りしめたまま首をふりました。
 「修道士は」
  司祭はもちろん修道士たちの一人にもこの連中はもう六年も会っていないのです。六年前までは、それでもミゲル・マツダとよぶ日本人の司祭とイエズス会のマテオ・デ・コーロス師とがひそかにこの近辺の村や部落と連絡を保っていましたが、二人とも一六三三年の十月に疲れ果てて死んでしまったのでした。
 「で、その六年間どうしたのです。洗礼やそのほかの秘蹟を」ガルペはそう訊ねました。モキチたちが答えた話の内容ほど我々の心を動かしたものはありません。今の事実を貴方を通して、私は我々の上司に是非、告げて頂きたいのです。いいえ、上司だけではなく、ローマ教会のすべてにも是非、知って頂きたい。「ある種は沃き壌に落ちしかば穂出でて実り、一つは三十倍、一つは六十倍、一つは百倍を生じたり」あのマルコ聖福音書の言葉を私は今、思い出します。司祭も修道士もなく、役人たちの迫害に苦しみながら、彼等はしかしひそかにみえざる秘密の組織をつくっていたのです。
  たとえばその組織はトモギ村では次のようなものでした。信徒たちの中から一人の長老がえらばれて司祭のかわりを代行するのです。私はモキチに教わったそのままをここに書きましょう。
  昨日、砂浜で出会った老人は「じいさま」とよばれて、一同の最高の地位を占め、身を清らかに保っているので部落で新しい子供が生れると洗礼を授けます。じいさまの下には「とっさま」という連中がいて、ひそかに祈りと教えとを信徒たちに語りつたえるのです。そして「み弟子」といわれる部落民は消えようとする信仰の火を必死でともし続けているのです。
 「トモギ村だけではなく」私は勢いこんで質問しました。「おそらく、ほかの村でもそのような結びつきをやっているでしょうか」
  この時もモキチは首をふりました。あとになってわかったのですが、血縁ということを重んじるこの国では、一つの部落はまるで親族のように固く結ばれるので、他の部落とは、時には異民族のように敵意を持ちあうことさえあるのです。
 「はい、神父様、自分の村衆だけは信じとります。ほかの部落衆にこげんことば知られれば代官さまに訴えられます。目明したちは、一日のうち一度は村から村をまわっとります」しかし、私はモキチたちにほかの部落や村の信徒たちも探しだしてくれないかと頼んでみました。荒廃し、見棄てられたこの土地に司祭がふたたび十字架をかかげて戻ってきたことを一日も早く告げねばなりません。
  翌日から私たちの生活は次のようなものになりました。真夜中、まるでカタコンブの時代のように私たちはミサをたて、朝がた、山をのぼって訪れてくる信者をひそかに待つのです。毎日、彼等は僅かばかりの食糧を二人して持って来てくれます。その告悔をきき、祈りや教えを言いきかせます。昼は小屋の戸を固くとじて、万一、そばを通る者があっても気どられぬように物音一つたてません。もちろん火を起したり、煙をのぼらせることは禁物なのです。
  トモギ村の西にある村々や島々には信徒がまだ残っているかもしれぬと思われるのですが、このような事情なので私たちは外出さえできぬ次第です。しかし、やがては私は何かの方法をみつけて、これら見棄てられ、孤立した信徒の群れを一つ一つ見つけていかねばならないでしょう。
 
(つづく)